奥の細道・日光街道を歩く旅 マツノヒデマサの歩く旅シリーズ
2006年7月5〜6日 
             
奥の細道第12回 芭蕉句碑 クリックで拡大します

第12回 八板〜黒羽



行春や 鳥啼き魚の         目は涙
 2006年7月5日夜、新幹線で東京を出発し宇都宮へ。缶ビールを飲んだ影響か危うく乗り過ごすところだった。カプセルホテルにてすぐに就寝し翌6日、サッカーWカップの準決勝ポルトガル対フランス戦を観るため、3時半に起床。前半戦終了の合図とともに、5時にホテルを発つ。JR東北本線で矢板駅まで移動し、前回までの奥の細道「扇町交差点」に戻ったのが午前6時。天候は曇り、昨日までの天気予報は曇りのち雨。

 東へ歩を進めると「大田原12km」、逆方向は「玉生8km、今市28km」との表示。JR線の高架道を渡り、6時18分に4号線「中」交差点に突き当たる。田園風景を楽しみながら県道52号線を道なりに右カーブして新幹線のガードをくぐる。手前に「大田原市佐久山 与一温泉6km」の看板を発見。沢集落に入り、火の見や先を左カーブする角に馬市碑、生駒神社が建つ。明治時代、馬産地の市を興した貢献者を記念したものだ。沢観音寺に出る。奥に金色に輝く観音様が輝く。墓石が道路の脇にところどころ置かれ、その近くに光背阿弥陀如来坐像がそっと立っている。
 7時28分、大田原市へ入る。丘陵地帯になり、ようやく新幹線の騒音もない、おおらかな鶯の声や蛙の気兼ねない鳴き声にほっとする。下ったところ左手に「温泉(ゆぜん)神社」があり、佐久山集落地に出る。近所の煙草屋さんに聞くと、「那須温の温泉神社」の関係だろうという。7時55分、T字路手前に「友白髪」の吉崎酒造に出るが、今は製造していないようだ。
奥の細道第12回 「喚鍾」 左折して(旧陸羽街道)すぐに親鸞上人縁の正浄寺を訪ねる。本堂に居た住職にお話を伺った。本堂は大火にあったので140年の歴史だが、本堂前床の欅の一枚板は見事だ。氏によるとかつて佐久山は城下町の宿場で栄え、箒川の水運で塩原から材木を運んだという。かつては江戸吉原を思わせるほどの繁栄振りだったというから驚きだ。法要の直前に鳴らす「喚鍾」は寺最古の宝物で文化5年の建造という。阿久津人吉による本堂正面段上のぼたん籠彫りは3年かけて彫った名作。本堂前に「花の陰 遥に似たる 旅寝かな」の芭蕉句碑がある。住職宅玄関に入って驚いた。所狭しと絵画が掛けられている。平山郁夫、東郷青児、伊東深水などの名画が・・・。本物?ですよね。と聞くと、彼は「先代は絵が好きで、ギャラリーの友人と親しかったことから、手に入れたと聞いています。」
奥の細道第12回 芭蕉句碑 クリックで拡大します お寺での催しが注目される最近だが、美術館のある癒しのお寺として、また奥の細道ゆかりの寺として知らしめてほしいと伝えられた。

花の陰 遥に似たる 旅寝かな



 「親園」信号の手前に「那須与一の墓」右折とあるので、150mほど行ってみたが、そこは「豊郷治水」記念碑だった。まだ先らしい。せめて距離を記してほしい。街道を歩く人は想定外ということか。国道も歩道がなく危険な道路や橋が多い。また戻り、左手に薬王寺、向かいに樹齢200年の赤松(国井家)。芭蕉の歩いた時代(1689年)にはまだこの赤松はなかったことになる。9時15分、湯殿山神社と浦盧(ホロ)碑に出会う。文化9年(1812年)高津義克という行脚僧がここを通りかかった折、兵士の一隊が行進する蜃気楼を見て、石碑に彫ったもの。
奥の細道第12回 薬師堂210時8分、室井病院を通過、この手前に那須与一縁の八幡神社があるはずだったが、見逃してしまった。神明町を右折して、薬師通りに出る。黒羽まで11km。すぐ左手の薬師堂は大田原城四方固めの一つで西薬師と呼ばれていた。寛永年中(1624〜1644年)、大田原備前守正清によって堂宇再建、後に1757年の大火で消失、寛政5年(1793年)に再建した。境内に江戸中期の作といわれる金剛力士二対の木彫漆塗立像、七重の塔や舎利塔などの文化財がある。

 次の信号「金燈龍」は文化文政時代に商人たちによって鋳造されたもので、いかに佐久山が栄えたかという遺跡だ。蛇尾橋を渡ってしばらく行くと、大田原温泉が右手に見える。日帰り温泉館にホテル龍城苑が併設しているので旅の汗を流すことにする。
 入浴料は700円。すぐ左手に飲泉所があり、紙コップで一献。かすかに硫黄の味がする。源泉掛け流し、温度が高いので期待できるかも?まずは腹ごしらえに二階の食堂へ。那須高原の名物は那須牛だが、残念ながらメニューにはない。ぐっと我慢して山に来て「?」と思いつつ、刺身定食をいただく。ポテトサラダ、赤貝・蛸・鮪刺身、きゅうりの漬物、わかめの味噌汁とご飯。お客はすべて地元のお年寄りが10人ほどで11時30分が過ぎるとカラオケタイムが始まり、がんがんと歌い通しだ。食事中にみんなにお菓子を配るおばあさんもいて、リュックを脇に置く明らかに部外者の私までも1ついただいた。地方のそんな親切に入浴の前から心が温まる。
 大浴場と露天風呂の湯は、本当に掛け流し・加湿・過熱・循環なし・塩素投入もなしのすばらしい湯だった。源泉50.9度のナトリウムー塩化物泉。湯口には飲泉が出来るようにコップがおいてある。石造りの湯船からは惜しげもなく湯があふれている。

  12時10分に大田原温泉を出る。15分ほど歩きT字路「上奥沢」を左折、しばらく単調な道を行く。バイパス道だったかも知れない。左手に巨大な精米所、続いて八雲神社と生駒祭の石碑があった。金丸小学校手前角に那須神社裏の石柱がある。道の駅「那須与一の郷」を過ぎると、仁徳天皇時代創建といわれる那須神社に出る。社宝は那須与一愛用の刀、ぜひ見たかったが、黒羽までたどり着くことを考え、足を気づかってあきらめる。13時40分、ついに黒羽町へ入る。国道461号線に合流、クランク状に歩き那珂川を渡ると、「あゆ躍る黒羽」の宣伝どおり、鮎づくしの町。河原下は鮎公望たちの姿がいっぱい。6月1日が解禁だそうな。バスで来る東京の団体釣客もいる。店を覗くと、鮎のおとりに塩焼き、甘露煮、鮎の干物。和菓子屋さんには、鮎最中。食堂には鮎釜飯や鮎そーめん。そこで私もここで一句・・・
「塩焼きと おとり鮎並ぶ 黒羽や」(マツノ)

 黒羽町役場は大田原市と合併に伴い現在は使われていない。バス停は残っているが、次の那須塩原行きのバスは16時45分・・・2時間30分も待ち時間があるのか?仕方なく「田町十字路」交差点を左折して300m先の黒羽支所へ足を延ばす。他の交通手段を相談したが、結局方法はなく、史蹟めぐりとあじさい鑑賞を勧められた。支所の東側壇上に今が見ごろのあじさい祭りのあじさい通り、芭蕉公園や黒羽城址公園がある。支所に荷を置かせてもらい、痛い足を引きずりながら、坂道を登る。大雄寺は、旧黒羽城主大関氏の菩提寺で室町時代の様式を残す総茅葺屋根の曹洞宗寺院だ。参道は少し薄暗く、いかにも荘厳な雰囲気。本堂に出るとようやく明るくなり、庭園にはぼたんが植栽されている。
 奥の細道第12回 旧浄法寺 クリックで拡大しますあじさいを求めて、芭蕉公園に向かう。芭蕉は門人の旧浄法寺の桃雪を頼り黒羽へ来たが、その屋敷が芭蕉公園に復元されている。あじさいに抱かれた落ち着いた屋敷だ。「山も庭も 動き入るや 夏座敷」の句碑がある。芭蕉の道入り口には「行春や 鳥啼き魚の 目は涙」の句碑が旅人を迎える。

   山も庭も 動き入るや 夏座敷

 一通り見学し支所に戻り荷を受けとり、次回は待ち時間をなくすためにバスの時刻表をいただく。この先片道12kmの雲厳寺への往復は、片道は歩き、片道はバスにしよう。那珂橋まで戻り、和菓子屋で鮎最中を購入し、200円の鮎の塩焼きを立ち食いした後に、陽射しを避けて、ホテル花月に入り、コーヒータイム。那珂川と那珂橋に向かった優れた眺望を、フロントマン氏にほめると「高層階からの眺めもすばらしいんですよ」と自慢された。
 再び旧役場前に戻り、バス停前のベンチで待っていると、対面を自転車で通行中の4人の女子中学生が私に向かって「こんにちは」と声をかけてくれた。あわてて、声を返すが驚いた。那須塩原行きのバスに乗車すると、運転手は芭蕉の話をしてくれる。乗客は私とお年寄りのおばあさんとおじいさん。おじいさんは関心がなく、聞き手は二人。歴史好きな運転手の話は熱心で、おじいさんの降りるところを通り過ぎてしまい、より自宅に近いところで降ろすことになる。雲厳寺二代目住職は彼、磯十兵衛さんのご先祖だそうで、雲厳寺の内部事情にとても詳しいようだった。


第11回 日光〜玉生、矢板 を読む

第13回 黒羽〜雲巌寺 を読む
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奥の細道第12回 馬市碑

馬市碑

奥の細道第12回 沢観音寺
沢観音寺

奥の細道第12回 「友白髪」吉崎酒造
「友白髪」吉崎酒造

奥の細道第12回 正浄寺
正浄寺

奥の細道第12回 浦盧
浦盧(ホロ)碑

奥の細道第12回 薬師堂1
薬師堂

奥の細道第12回 大田原温泉
大田原温泉

奥の細道第12回 飲泉所
飲泉所

奥の細道第12回 那須神社
那須神社

奥の細道第12回 鮎づくしの町
鮎づくしの町

奥の細道第12回 大雄寺
大雄寺



     
  
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